学生時代からバレーボールに打ち込み、スポーツ万能。大学時代は、東京で新聞配達奨学生として毎日、自転車で朝夕刊配り。故郷に戻って商工会に勤務する傍ら、バレーボール、駅伝、マラソン、登山、農作業等に汗を流す。還暦祝いの四国八十八カ所歩き遍路は、異例の30日踏破。(健脚の方で45日はかかる)そのバイタリティの源、そして、家業である相生晩茶の魅力をお聞きしました。(取材年月 2021年9月)

吉田 敏美(よしだ としみ)

昭和27年、那賀町鮎川(旧相生町)に生まれる。延野小学校、相生中学校、小松島高等学校卒業。昭和52年、拓殖大学経営学部経営学科卒業。同年、帰郷し、相生町教育委員会にて社会教育指導員・社会体育指導員。昭和54年より、商工会(那賀川町・鷲敷町など)にて、経営指導員。平成14年より、徳島県商工会連合会勤務。平成19年、同連合会事務局長。平成26年、那賀町商工会事務局長。平成30年退職後、農業(米・阿波晩茶・菜の花)。相生晩茶振興協会会長。趣味は、バレーボール、駅伝、マラソン、登山、野球、アオリイカ釣り。

  

――吉田さんは、学生時代からバレーボールに打ち込んだそうですね。そのお話をお聞かせください。

中学校、高校とバレーボール部員でした。高校では、インターハイ全国大会、国民体育大会に出場しました。アタッカーだったんですよ。社会人になってからは、6人制の教員クラブで全国大会に出場し、9人制の相生クラブでも全日本9人制バレーボール総合選手権に出場しました。また、徳島県チームとしては、平成5年に、東四国国民体育大会成年二部に出場しました。当時40歳です。

アタックしているのが吉田さん
アタックしているのが吉田さん

――すごいバレーボール歴ですね!スポーツ万能だとお聞きしましたが、バレーボールと共にある人生ですね。

万能だとは思いませんが(笑)昔から身体を動かすことが好きです。大学時代、毎朝夕、自転車で新聞配達をして、帰郷してからバレーボールをしたとき、身体が軽いと感じました。

――え!自転車で新聞配達ですか?

はい。大学時代、仕送りも無かったので、入学金と授業料貸与、住み込みの朝日新聞配達奨学金制度を利用しました。

当時、練馬区石神井公園にあった朝日新聞が借りてくれたアパートに住んで、朝4時半から7時まで朝刊300部、16時から18時まで夕刊配達。その後、チラシの組み込みや新聞代の集金を行ってました。

――ええっ!毎日ですよね。その合間に勉強ですか。

はい。朝刊配達後、電車で通学。授業を受けて、夕刊配達までに帰ってくるという日常の繰り返しでした。もちろん部活などできません。

雪の日、自転車が滑って転んでしまい、新聞を取り替えないといけないこともありました。冬はとにかく寒かったです。雨の日はカッパを着て配りました。土日も関係なしですが、日曜だけ夕刊がありませんでした。

――鉄人ですね!

いやいや、そんなことはないのです。実は、大学時代、中耳炎の手術で1ヶ月、胆石による胆嚢摘出手術で4ヶ月入院しています。胆石は、腹痛の原因特定に3ヶ月かかりました。それで、1年休学し、結果的に大学卒業に6年要しました。

――大変でしたね。それでも、意地でも卒業なさったのですね。

はい。そんな生活を経験したので、今は、「何をやってでも生きていける」と、変な自信を持っています(笑)。また、「物事考えてもしょうがない。なるようになる」と、開き直りで生きることを覚えた気がします。

――大学時代、甘えていた自分が恥ずかしいです。卒業後のことを教えてください。

徳島に戻ってきてすぐに、地元のバレーボールコーチの募集がありましたので、教育委員会に在籍して、中学生にバレーボールを教えていました。その後、たまたま商工会の募集があったので、商工会に勤めることになりました。結局、定年まで商工会にお世話になりました。

――商工会でのお仕事のことを教えてください。

主に、確定申告や融資のご相談をお受けしていました。また、各種講習会の情報提供なども行っていました。それ以外にも、労働保険や失業保険の相談など、結局のところ、ありとあらゆることを行っていましたね。

ちなみに、各市町村の商工会をとりまとめているのが、商工会連合会になります。商工会の職員は、商工会連合会の職員でもあります。

商工会に勤めて良かったのは、人と接する機会が多く、知り合いが増えたことです。人が好きなので、いったん付き合い始めたらお付き合いも長くなります。

しかし、最近、商工会はだんだん職員が減ってきています。徳島は、過疎化などで事業者数が減ってきているので、職員も減らされているのです。特に、那賀町は高齢化で廃業も多く、個人商店も少なくなって、車など足のない方の食品や日用品調達が課題です。

――徳島においては、商業の発展というより、まず維持が大きな問題ですね。家業の「相生晩茶」のことを教えてください。

相生晩茶は、後発酵の全国的には珍しいお茶です。上勝晩茶とともに「阿波晩茶」とも言われていますが、この地域では、昔からお茶と言えば、この「晩茶」です。

手や機械で摘んだ茶葉を蒸して揉んだあと、茶葉を大きな木桶で漬け込みます。漬け込む期間は農家によって様々ですが、我が家では、10日から14日程度、乳酸発酵させ、数日これを天日乾燥させて完成させます。

「番茶」には二番茶、三番茶でつくる「安いお茶」というイメージがありますが、「晩茶」は、木桶で長時間発酵させるため、柔らかい新芽で発酵させると、葉が縮み、形がなくなってしまいます。そのため、ある程度葉が硬くなる7月から8月に摘み取るのです。

――晩茶は手間がかかっていますよね。しかも、真夏に炎天下での作業!

我が家の茶畑は三反半で、お手伝いもお願いして、今年は500㎏ぐらい製造しました。しかし、今、手で摘む方が高齢化しつつあるのが問題です。10人ほどお手伝いに来ていただいているのですが、ほとんどの方が70歳以上です。

葉が硬くて痛いので、手袋をして、さらに手袋の上から指にテーピングもします。10日間ほどかけて摘むのですが、慣れていないと難しいです。

なので、今は、手摘みが半分、機械摘み半分です。機械だと表面しか刈れずもったいないのですが、人手不足の現状、仕方ないのです。

手摘み作業
釜茹で作業
釜茹で作業
茹で上がった茶葉
茶葉を揉んでいるところ
茶葉を漬ける木桶
茶葉を漬け込んだところ
天日干し作業
雨でも安心なハウスでの天日干し
袋詰め作業

――一般名称は、「相生晩茶」「阿波晩茶」ですが、その味は、農家さんによって異なるのですよね。私は、以前「花瀬庵」で吉田家の晩茶をいただいたとき、まろやかな甘みがあってすごく美味しいと感じました。

他のお茶を飲み比べたことがないので分からないのですが、うちのお茶を楽しみに待っていてくださる方がいるのが嬉しいです。ありがたいことに、今年分も完売しました。

――美味しい晩茶の入れ方を教えてください。入れ方でも味が変わりますよね。

私たちは、大きなヤカンにひとつかみの茶葉を入れて、家族であっという間に飲んでしまいますが、煮出したら、色も茶色くなって渋くなると思います。

沸騰させたお湯を80度ぐらいに冷ましてから、茶葉を入れるのがコツです。2リットルにひとつかみでしょうか。すぐに飲みきるなら茶葉は入れっぱなしでもいいですが、飲みきらないなら、茶葉を取り出した方が色は綺麗です。水出しもできます。また、晩茶の茶葉は大きいので、細かく砕いてティーパックに入れてもいいでしょう。

――ほのかな酸味とカフェインの少なさが、晩茶の魅力ですよね。私は、上板に住んでいた子供の頃は、祖父母宅で自家製ドクダミ茶をよく飲んでましたが、晩茶は知りませんでした。とても美味しいです!ところで、バレーボール以外のスポーツのことも教えてください。

それでは、走ることについてお話しします。走ることは社会人になってから始めました。

徳島駅伝「那賀郡チーム」として、32歳から4年間、選手として出場しました。その後は、コーチや監督として参加して、現在に至ります。

徳島駅伝。32歳のとき

マラソンは、東京マラソンや徳島マラソンを含め、全国の大会に参加しました。「四万十ウルトラマラソン」は100㎞ありました。2011年に参加し、記録は12時間24分11秒です。当時58歳です。

第2回神戸マラソン。60歳のとき。記録は3時間49分08秒。2,572位/16,813人中

――100㎞!すごいです!そういえば、四国八十八カ所歩き遍路も30日で回ったとか。健脚の方で45日、スローペースな方だと60日で回るという話ですが・・・。

四国遍路は、還暦祝いに歩きました。全長およそ1400㎞ですので、一日45㎞から50㎞歩いたことになります。

1月23日から2月10日に歩き、最後に一番札所にお礼参りしました。雪の日もあり、山の中では、膝まで雪に埋まりました。雲辺寺のあたりは大変でしたね。昔ながらの道を歩きましたが、冬なので日が出ている時間が短いのです。

冬のお遍路は大変でしたが、その分、お接待は身に染みました。「ご飯食べていきー」と、たくさん声をかけていただきました。香川県坂出では、「同行二人やから」と、拝まれて500円いただきました。

――冬の雪道遍路とは!歩き遍路なさる方が多いのは、季候のいい春と秋ですよね。

こうと決めたら、ダーッといきたい性分なんです(笑)。普段はだらーっとしてますが、やりかけたらケジメをつけて最後までやり遂げたいんです。

実は、お遍路の前、退職した後もあれこれしました。退職後、米と晩茶づくりをし、9月に富士山と南アルプスの北岳と間ノ岳を登山、10月に北海道を自家用車で一周し、11月12月は駅伝の練習があって、週三日程度、コーチとして参加していました。そして、1月の徳島駅伝が終わったので、お遍路に出発したのです。

――言葉もありません(笑)。今は、登山と野球もなさってるとか?

春は還暦野球、秋は500歳野球(9人チーム合計が500歳のこと)に「那賀フレンズ」というチームで参加しています。登山は、夏山が中心で、日本百名山登頂を目指していますが、まだ37山です。アオリイカ釣りが趣味です。

――吉田さんの人生は、本当にスポーツと共にありますね。ところで、ずっと那賀町にお住まいになって、どう感じられますか?

そりゃもう、那賀町の人は、人がいいです。でも、残念ながら、どんどん人口が減っています。農業に従事する人が少なくなっていくと、田んぼが荒れるのが気になります。

自宅前の田んぼ

――どんな方に那賀町に住んで欲しいですか?

癒やされたい方や農業をしたい方に来て欲しいです。

那賀町は、自然と人に癒やされるところです。また、土を触るということは、精神的にもリラックスすると思います。

那賀町では、自給自足しようと思えば、できないこともないです。また、お茶は利益率が高いので、やろうと思えば、生活できるだけの稼ぎがあります。ただし、人を雇わない機械摘みです。町の方で移住者向けに「貸し茶畑」を設けたらいいと思います。農地は沢山あります。

――吉田さんのこれからの人生は、どんな感じでしょう?

私の目標は、日々楽しく生きることです。これまでずっと山を登ってきました。今は、その山を下っています。棺桶に入るまで、日々、楽しみながら人生を送りたいです。

――最後に、読者の方へメッセージを一言お願いします。

どうぞ、一度、珍しいお茶を飲んでみてください。今年分は完売しましたが、来年分はご注文受け付けております。問い合わせ先は、『090-8697-5073』です。

一袋1㎏6,000円(2021年現在)一般家庭でおよそ1年分
ご家族とともに。息子さん夫婦とその子供、娘さん夫婦とその子供の12人大家族
取材時、庭先で干していた栗

※一部写真は、吉田さんにご提供いただきました。

スポーツと故郷を愛し、「相生晩茶」とともに彩り豊かな人生を送る。◆吉田敏美(相生晩茶農家・元徳島県商工会連合会事務局長)

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