東京で地盤改良の仕事に従事するも、5年で木頭にUターン。家業に従事しながら、地元の山にヤマザクラを植えるプロジェクトを発足。地域資源である木頭杉を「五稜箸」として製造販売する会社も興す。近年は「木頭図書館」の指定管理者にも手を上げ、図書館を核とした地域活性化に情熱を燃やす。多彩な活動の詳細と、いま何を想うかをお聞きしました。(取材年月 2023年4月)

西田 靖人(にしだ やすひと)

1967年(昭和42年)生まれ。旧木頭村西宇出身。木頭小学校、木頭中学校、阿南工業高校(現・阿南光)土木科、東海大学工学部土木工学科卒業。1990年、中堅ゼネコン入社(主に東京臨海副都心開発工事に従事)、1994年、退社と同時に結婚Uターン(東京生まれ東京育ちの妻とともに)。1994年、廣間組有限会社に入社、現在に至る。

2010年頃より、廣間組が環境経営にシフト。ヤマザクラの保全と低炭素社会の推進を図りながら桜の名所を作るため、2015年「山櫻プロジェクト会」を立ち上げる。

“支障木”として伐られたヤマザクラからお箸を作ったら好評だったため、2017年、地域資源である木頭杉で作ったお箸「五稜箸」をメインとする「株式会社WoodHead」を立ち上げる。

2020年、四国のツキノワグマが絶滅危惧されていることを知り、保全活動に協力を始める。2021年、那賀町唯一の図書館「木頭図書館」の指定管理者となる。2022年12月、日本自然保護協会等と共催で「木頭クマ祭り」を実施、徳島県知事・林野庁・環境省・モンベル会長などをゲストに招き、来場者は約300人。

 

――昨年11月に取材させていただいた「木頭図書館」司書の玄番真紀子さんから、「ぜひ西田さんも取材をしてください」と、ご紹介いただきました。本日は、よろしくお願いいたします。

よろしくお願いいたします。

――子ども時代の思い出を教えてください。どんな子どもでしたか?木頭は好きでしたか?

私は昭和42年生まれですが、今のような娯楽が何もない時代で、子どもの頃は、山歩きと魚釣りばかりしていました。曲がった木の根元をゴルフクラブにして、蜜柑の空き缶をカップにし、田んぼ一枚ずつをホ-ルにして遊んでいました。自然の中で育ち、遊びは自分たちで考えていました。

――素敵です。私も田舎育ちですが、近所の子ども達と、ザリガニ釣りやレンゲ摘みなどして遊んでいました。当時は、木頭も子どもの人数が多かったと思いますが、今と比べてどうなのでしょう?

私の頃は、木頭中学校の同級生が42名(木頭小学校出身35名、北川小学校出身が7名)でした。今は、木頭学園(小中一貫校)の去年の卒業生が小学校で3名、中学3名です。

――少なくなりましたね。西田さんの同級生は、いま木頭に何人ぐらいいらっしゃいますか?

7人で、多い方だと思います。皆、地元で仕事をしています。木頭で住むのは、病院が一番ネックになると思いますね。特に、若いお母さん方は、子どものことを心配していますしね。この付近だと、木頭診療所か上那賀病院が最寄りですが、歯医者は、高知に行ったりしています。

――西田さんは、阿南工業高校(現・阿南光)土木科のご出身ですが、どうしてその道に行こうと思われたのでしょう?

中学卒業時に、人生の進路を決める第1回目の決断をするわけですが、当時は、今のようにインターネットもなく、近しい大人からしか仕事を知ることができませんでした。親戚が土木をしていたので、現場監督さんが身近でした。自然の流れで土木を選び、それが生涯の仕事になったわけです。

――そうだったのですね。高校入学から東京で仕事をするまでのことを教えてください。

実は、高校2年のときに、父親が脳梗塞で倒れて半身不随になりました。それほど裕福ではなかったので、高校を中退して働かないといけないと思ったのですが、父親の兄弟姉妹が、今、私も籍を置く「廣間組」をやっていて、助けてくれました。「お前は成績がいいから、とりあえず大学に行け」と。大学の費用は、その親戚が出してくれました。

――そんなことがあったのですね。それなら、頑張らないと!と思いますよね。

はい。高校から今まで、土木一筋です。といっても、大学卒業後は、「廣間組」での仕事と異なる「地盤改良」で当時トップの、東京の中堅ゼネコンに入社しました。

――と、言いますと?

私が就職した当時は、臨海副都心計画があり、開発まっただ中でした。フジテレビやお台場公園、国際展示場のあるあたりの地盤を造る仕事をしていました。

いわゆるスーパーゼネコンも目指したかったのですが、私の成績ではちょっと厳しくて(笑)。でも、どうせなら、何かでトップの会社に入ってやろう、と思ったのです。とはいうものの、東京での仕事は、入社してから5年まで、と決めていました。

――ということは、最初から、故郷に帰るつもりがあったのでしょうか?

はい。5年会社にいると、仕事も面白くなる頃なのですが、組織の歯車の一つになりたくない、という想いがありました。

ちなみに、妻は江戸川区出身の東京生まれ、東京育ちです。親元にずっといて、一人暮らしもしたことがない人間でしたが、私と一緒に木頭に来てくれました。私が27歳のときです。

――行動力があって長期的な視野をお持ちの西田さんだから、そういう奥様と一緒になられたのかも知れませんね。

ははは!妻は、徳島に来て、土や水の匂いが違う、と言っていました。今は、すっかり木頭になじんでいます。

――私の主人も、東京生まれの東京育ちですが、徳島に来て、空気が綺麗!と、言っていました。さらに、那賀町の夜景にも感動していましたね。肉眼で星が見える!と。

東京で、大学の同期と飲みながら、仕事の話をしたことがあったのですが、「何時まで仕事しているのか?」という話題になりまして。

那賀町にいるこちらは、夕方5時5分になったら、誰も事務所にいないのですが、彼は、夜の10時ごろまで会社にいると。何が仕事で何がプライベートか、区切りが分からなくなりますよね。

――すごくよく分かります。自分で創り出す、本当に好きな仕事だと、何時まででも働けたりしますが、「組織の一員」で夜10時まではキツいです。私が1社目に入社した東京のIT企業がそんな感じでした。「廣間組」での仕事を教えていただけますか?

一口に土木と言っても、港湾土木から森林土木まで様々です。東京で地盤改良しか経験していなかった私は、山での仕事がメインの「廣間組」では、イチから勉強でした。

ただ、東京の中堅ゼネコンでは、「安全管理」を徹底的に意識してきたので、その経験と知識は「廣間組」で活かせたと思います。

今は、「廣間組」でモノを造る仕事が面白いです。地盤改良は、何もないところで何かを造る仕事ではありません。目に見えているのは、最初から最後まで一緒です。「野原」の中で、くい打ち機を入れたりしますが、工事が完了しても、やはり「野原」なのですよね。

私は、目に見えるモノが造りたかったのだなあ、と改めて思います。「廣間組」に入って、林道や砂防ダムを造るのが楽しいです。

――自然の流れに任せて「天職」を得たのですね。

そう思います。計算通りに構造物ができるというのは、土木技術者冥利につきます。当時は大まかな図面しかなかったので、電卓で何度も計算して、許容値ギリギリで綺麗なモノを造ろうと奮闘しました。

ところで、たまに何か悪いことをした人の職業に「建設作業員」と、新聞に書かれることがありますよね。あれが嫌で、新聞社に直訴したことがあります。土木のイメージアップを図らないといけないと思っています。

――たしかに!「会社員」は一括りですが、「建設作業員」や「土木作業員」だけ特化して書かれていることがありますね。今はどうか分かりませんが、職業差別的な雰囲気を感じます。

土木の「技能」を持っている方は、本当に凄いのです。何十年の経験から、現場で型枠を組み、生コンを入れて擁壁を造る。「知識」ではなく「技能」なのですよね。

いま、この業界は人手不足で、外国人技能者を多数受け入れていますが、知識のみならず、この技能を持った日本人も、もっと大事にすべきです。

――深いお考えですね。それには、職業イメージをアップすることが大事ですね。

世界一古い会社が、日本にあるのをご存じでしょうか?西暦578年に設立した「金剛組」という建設会社です。朝鮮半島から宮大工を連れてきました。AIが台頭し、今後10年でなくなりそうな職業、というのが話題ですが、10年経ってもなくならないのが土木だと思います。

――「金剛組」は知りませんでした!

もう少し、土木について語らせてください(笑)。

東北大震災で、災害復旧に活躍したのは、自衛隊や警察、そして米軍と、一般の方はイメージしますが、道路啓開(緊急車両が通れるように瓦礫等を除去すること)を最初にしたのは、地元の建設会社なのですよね。道路啓開している方ももちろん被災者ですが、地域のために真っ先に動いたのです。

また、膨大な死者数で棺桶が間に合わず、急遽コンパネで棺桶を作ったのも、地元の建設会社ですし、家の方からした資産でもある瓦礫を仕分けたのも、同じく地元の建設会社です。

――たしかに、コンピューターができることと、人にしかできないことがありますが、現場作業は、人しかできませんね。

これまで、土木会社は、役所がお客様と考えていました。でも、そのエンドユーザーは、地元の方々なのです。なので、地元の方々に愛されないといけません。土木会社が地元の方々のために、何かをするのは当然のことです。

――今のお話で、どうして、西田さんが土木の仕事をしながら、ヤマザクラの植樹活動をしたり、地元の木頭杉でお箸を作ったりしているのか、理解できました。根底に「地域のための土木会社」という想いがあるのですね。次に、「山櫻プロジェクト会」の活動を教えてください。

「山櫻プロジェクト会」は、2015年に立ち上げた任意団体です。活動概要は、以下です。

1.日本古来の伝統花「山櫻」の保全(生物多様性への配慮)
2.植樹によるCo2の吸収・固定(低炭素化社会の推進)
3.山櫻名所づくり(地域新観光地の創生)
4.山櫻が繋ぐ〝架けはしプロジェクト”

山櫻プロジェクト会ホームページより)

ヤマザクラは、累計500本程度を山に植えました。参加者を募って、イベントとして毎年40本程植えていますが、老若男女120名ほどの方が、これまでプロジェクトに関わってくださりました。令和2年度には、(公財)日本さくらの会より「さくら功労者」にも選ばれました。

2023年の植樹イベント

――ヤマザクラは、どうやって育てるのでしょう?

まず、5月6月頃、ご協力くださっている地域の方のヤマザクラの木から種を採取します。採取は、鳥との競争です。採取した種は、水で洗って果肉と分けて乾燥させます。その後、種を土中に埋めて、翌年の2月頃にプランターに種蒔きすると、4月頃、芽が出てきます。

芽が出たら、キャビティ(ロングポット)に植え替えて、ある程度大きくなったら、山に植樹です。2年~4年で植樹することが多いですね。

①種の採取
②果肉と分けて乾燥
③土中での種子保存
④発芽
⑤キャビティでの育成
⑥2017年以降の苗
⑦キャビティの中はこんな風に

少しでも苗を大きく丈夫に育てるため、今年初めて、お借りした畑に地植えしてみました。毎年、平均すると千粒程度の種を採取しますが、翌年、芽が出るのが半分、さらに最終的には2割程度しか大きくなりません。

地植えした畑

――根気がいりますね!でも、無事に育ったときの喜びは格別でしょう!ところで、ヤマザクラは、「支障木」として伐られていたとのことですが、どういうことでしょうか?

林道を造る際、ヤマザクラがあると邪魔で伐っていました。そのヤマザクラを活かしたい、という想いがありました。

この後でお話する、木頭杉から作る「五稜箸」(五角形の箸)も、最初は、ヤマザクラから作っていたのですよ。今は、ヤマザクラから作る箸は、八角形にして、町が主催する米寿のお祝いにお贈りしています。それが「架けはしプロジェクト」です。

――間伐材をお祝いに使うとは、なんとも粋ですね。

ありがとうございます。

――株式会社WoodHeadで作られている「五稜箸」について、教えてください。

株式会社WoodHeadは、2017年に立ち上げた木工製品の企画製造販売を行う会社で、主力商品が、地元の木頭杉で作る「五稜箸」です。

ここ木頭は、温暖多雨な気候と豊かな土壌で、良い杉が沢山育つ場所です。奈良、平安時代から木頭杉はあり、鎌倉時代には、京都下賀茂神社の造営に寄進、天正年間には、大阪城の築城に使用されたそうです。さらに、昭和初期には、技術革新により、西日本有数の製材産地となって「阿波の三分板」として京阪神市場を圧巻したと、言われています。

――そんなに古い歴史があるのですね!

はい。木頭杉の心材(濃い赤みの中心部分)は、色艶が良くて「木頭朱杉(きとうあかすぎ)」とも呼ばれ、重宝されていますが、「五稜箸」は、その厳選した「木頭朱杉」から作っています。高級感のある赤色と芳醇な香りが、魅力的な箸だと思います。

「木頭弁」のパッケージが可愛い

――たしかにいい香りです。

「五稜箸」は、漂白剤や防カビ剤、塗料を一切使わず仕上げています。無塗装なので、食べ物が滑らず、使いやすいと思います。重さもわずか5グラムと超軽量なので、お子さんやお年寄りの方でも持ちやすいのですよ。

――本当に軽いです!ところで、どうして「五稜箸」という名前になさったのでしょう?

箸の形には、丸、四角、六角、八角など様々ありますが、奇数の形状、特に五角形は制作が難しいとされています。その反面、持ちやすいのも奇数の箸です。中でも、特に五角形が持ちやすいとされ、箸の正しい持ち方につながります。

開発が大変でも五角形にしたかったのは、那賀町が、旧五町村で形成されているからです。そして、「稜」という字は、「山の稜線」を意味します。5つの地域を5つの山(稜)に見立て、「木頭杉」という地域資源のもと、共に振興し、未来へ歩む姿を五角形に込めました。

――素晴らしいですね!

「五稜箸」は、木頭和無田(きとうわんだ)の「わんだぁ工房」で作っています。林業が盛んだった頃は、割り箸工場だったところですが、林業の衰退とともに閉所され、30年間そのままになっていました。私たちは、木頭杉をブランドとして蘇らせるならここしかない!と、地域の方とともに、施設を再生したのです。

「わんだぁ工房」では、箸製造のほか、様々な木工製品の製造と、五稜箸作りのワークショップ(要予約)も行っているので、お気軽にお問い合わせください。

五稜箸作りワークショップ
木頭図書館で利用されている書籍分類サイン
木頭杉を活用したスピーカーも人気
オリジナルのノベルティも制作可能

なお、「五稜箸」やその他商品は、徳島阿波おどり空港、徳島とくとくターミナル、徳島駅クレメントプラザ地下一階、はし藤(箸専門店)、もみじ川温泉、KEN’s ギャラリー、きとうむら、未来コンビニ、弊社運営のオンラインショップ等でお買い求めいただけます。

日本航空の子会社(J-AIR)でも機内販売された

――次に、ツキノワグマの保全活動について教えてください。

ツキノワグマの保全活動は、木頭に移住してこられた「四国自然史科学研究センター」の研究員と知り合ったことがきっかけで、3年前から関わっています。

Save the Island Bearプロジェクト(四国ツキノワグマ保護プログラム)」というプロジェクトがあります。

近年の調査で、四国に10~20頭ほどしか生息していないと、絶滅が危惧される「四国地域のツキノワグマ」の保全を推進するために、「四国自然史科学研究センター」「日本自然保護協会」「日本クマネットワーク」の3者が協働で実施するボトムアップ型の保全プロジェクトです。

株式会社WoodHeadは、那賀町唯一の図書館「木頭図書館」の指定管理もしているのですが、2022年には、木頭図書館として上記3者と共催で、「木頭クマ祭り&公開シンポジウム」を開催しました。もともと2020年に開催予定だったのですが、コロナ禍のためオンライン開催となり、初めてのリアル開催が大成功で、来場者300名以上となりました。

――すごいですね!那賀町の最奥地である木頭に、それだけの人が来るというのは素晴らしい地域活性化への貢献ですね。

イベントでは、四国のクマの現状を伝える情報ブースやドキュメンタリー映像の上映、クマの調査体験コーナーの他、地元協力団体によるお土産品などの販売ブースも出展されました。

午後のシンポジウムでは、登山用品で有名な「モンベル」創業者の辰野勇氏による基調講演や、関係者による公開討論会が開催されました。

――魅力的なイベントですね。次回こそ伺いたいと思っています。

今年もできれば、11月か12月に開催したいです。より面白い企画にしたいですね。

実のところ、このイベントを立ち上げるにあたって、「クマ」は可愛らしいイメージもあり、人に受け入れられやすく、地域おこしの起爆剤になると思いました。「絶滅の危機に瀕する四国のツキノワグマ」を知ってもらうことも、イベントの大事な目的ですが、私としては、木頭の交流人口を増やしたい、という想いも強かったです。

ちなみに、イベント開催にあたり大規模な駐車場が必要だったので、図書館脇の河川を整備したのですが、民間企業では、河川利用許可を得るのが難しかったと思います。町立である木頭図書館がイベント主催した、というのが大きかったですね。

――イベントを一過性のものにせず、ぜひ継続できるよう頑張ってください!木頭図書館の指定管理者になった経緯などを教えていただけますか?

3年前、那賀町のホームページで、木頭図書館の指定管理者を募集していると、知りました。締め切りギリギリだったのですが、地域の要に「図書館」が大事だと、急遽申し込みを決めました。

「木頭図書館」は、30年前に作られたのですが、その先人達の想いを引き継ぐのは、地元の人間しかいない、と思ったのです。3年で指定管理は更新になりますが、今後も続けたいと思っています。

玄番真紀子さんのインタビューでもありましたが、図書館の役割は、本の貸し出しだけではないと思っています。いろいろなイベントを企画して、地域のハブとして機能できれば嬉しいです。

右が、西田さん紹介者でもある木頭図書館司書の玄番真紀子さん
取材時、ちょうど行われていた「ツキノワグマ」「山櫻プロジェクト」のロビー展示。季節毎に様々な展示を行う。

――本当に、西田さんのご活動は多岐に渡っていてすごいですが、一貫して感じるのは、故郷・木頭への深い愛情です。いま、木頭に住んで、どんなことを思われていますか?

土日が寂しいと思っています。土日開催のイベントを月1回でもしたいですね。地元の方が寄れるようなイベントになれば。それには、次の世代も育てないといけません。町外の方に、もっと木頭に遊びに来て欲しいです。

――今後、那賀町に住みたいという方に向けて、お伝えなさりたいことはございますか?

たしかに、那賀町全体、そして木頭は、人口が減少し、お店も減りました。ただ、厳しい生活環境にあっても、人があたたかいです。ストレスを開放し、リフレッシュするには、やはり人が一番ではないでしょうか。

――これから、どんなことをなさりたいですか?

木頭に7千本の桜を植えたいです。木頭の大字は7つなので、各地域に千本ずつ桜を植えたいですね。

――素敵ですね。西田さんの人生において、大事なことを教えてください。

「今を楽しむ」です。私にとって憂鬱なのは、休みの日曜です(笑)。仕事をしているのが楽しいので。なんたって、周囲がいい人ばかりですから。

――東京からUターンなさって良かったですね。幸せそうな暮らしぶりが伝わってきます。最後に、読者の方へ一言メッセージをお願いします。

どうぞ木頭に遊びにきてください。一緒にワクワクすることをしませんか?

――本日は、ありがとうございました!

株式会社Wood Head

「五稜箸」などのオンラインショップ

東京から木頭にUターン。ヤマザクラを植え、木頭杉を活かす活動を続ける。◆西田靖人(「株式会社WoodHead」代表取締役社長、「木頭図書館」館長、「山櫻プロジェクト会」代表)

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