那賀町に生まれ育ち、大学で学ぶために一度故郷を離れても、再び戻って親の建設会社を継がれました。淡々とした口調から「運命に抗わず、地道にコツコツ」という印象が強く残ります。その一方、思いつきをすぐに形にし、皆が驚くことをサラリとやってのけます。そのしなやかな生き方の奥にある秘めた想いをお聞きしました。(取材年月 2021年12月)

谷崎 史明(たにざき ふみあき)

1962年、那賀町平野(旧・相生町)生まれ。相生中学校、富岡西高等学校卒業。1984年、大阪工業大学工学部土木工学科卒業。同年、父の創業した「有限会社谷崎組」に入社。1992年、同社代表取締役に就任。中学・高校は野球部、大学からバドミントン。旧・相生町青年団団長を2年、旧・相生町商工会青年部部長を2年、那賀町消防団第6分団の分団長を4年務める。那賀町商工会会長。阿南法人会那賀支部支部長。徳島県建設業協会那賀支部副支部長。とくしまオンリーワンクラブ事務局次長。もぐら会幹事補佐(毎月ゴルフ新聞を作成)。還暦野球チーム所属。消防団に再入団。那賀町吹筒煙火「天酔連」所属。趣味は、ゴルフ、野球、バドミントン、田畑の草刈りなど。

 

――大学で土木工学を専攻なさったそうですが、最初から親の仕事を継ごうと思われていたのでしょうか?

高校時代は、別の道を歩みたいと思ったこともありましたが、長男が家を継ぐのが当然という親の考え方もあり、特に反発もしませんでした。小さい頃から親の背中を見て育ってきたというのもありますし、母親が脳梗塞を患ったのもあり、心配で家に戻ってきました。ちなみに、姉と弟がいますが、現在、姉夫婦とも一緒に仕事をしています。弟は、県外で会社員をしています。

――谷崎さんのお子さんも家を継がれるおつもりでしょうか?

私には息子が3人おりますが、いま大学生の一番下の息子がそのつもりでいてくれるようです。なので、息子が独り立ちできるまでは頑張るつもりです。

――これまでインタビューさせていただいた方々やそのお子さんも、一生懸命頑張る親の背中を見て、自然と親の仕事を継ぐ気持ちになった方がいらっしゃいますね。谷崎さんは、これまでどのような想いでお仕事をなさってこられましたか?

昭和48年に創業した親から受け継いだ会社ですが、土木の仕事は、私にはとても面白いです。自分の作ったモノがずっと残っていくのが、なんとも感慨深いです。道が綺麗になっていくのにも喜びを感じます。そういえば、「地図に残る仕事」というキャッチコピーの建設会社のコマーシャルがありましたね。まさしく、そういう仕事をしているという気持ちでいます。

――具体的には、どういうお仕事を手がけられているのでしょう?

那賀町内の仕事がほとんどです。道を整備したり、河川改修をしたり。父親の代は従業員が24、25人いましたが、現在は16人で仕事をしています。

――これまで、印象に残った仕事はございますか?

徳島県から「優良工事」として表彰いただいたときは、やはり嬉しかったです。工事には点数がつき、その点数により表彰されます。当時、那賀町で1年に1件だけの表彰でした。

――お仕事で気にかけていらっしゃることはございますか?

当たり前かも知れませんが、「安全」を一番気にかけています。多少無理な工期のとき、無茶したらなんとかなりそうだったとしても、その結果、従業員が怪我をしては元も子もありません。

あと、仕事を通じて「地域を守っている」という自負もあります。

例えば、木が倒れた、道が崖崩れした、というとき、一番に駆けつけるのは、地元の私たちです。さらに、町からの依頼前であっても、雪が降りそうということであれば、先んじて道に凍結防止の塩化カルシウムを撒いておきます。山間部に暮らす地元住民にとって、道は非常に大切なライフラインだからです。

大きな町の大きな建設会社だけでは、地域は守れません。私たちのような地元企業が何かあったときにすぐに動ける体制を持っているということは、とても重要だと思います。

――お仕事以外、様々な会に所属なさったり、その代表を務められたり、また、スポーツ活動を積極的になさるなど多岐分野に渡ってご活躍ですが、どういう想いでご活動なさっておられますか?

自分で言うのもおかしいですが、根が真面目なので、いろいろな活動に休まずに出て行っていたら、頼まれることが増えました。地域のためにも、できるだけ地道にコツコツとやっていきたいと思っています。

――地道にコツコツ、ということですが、「もぐら会」というゴルフサークルの会報誌も長い間、作られているのですよね?

はい。「もぐら会」会員は、那賀町や阿南の方がほとんどで、現在は27名がご参加なさっています。私が最年少です。「もぐら会」会報誌は、平成4年1月から発行されていて、私は、平成12年8月から毎月担当しています。

――毎月!20年以上とはすごいですね。

そうですね。気付けば、そんなになっていた感じですね。

――消防団もいったん退団なさったあとに、再入団なさったのですか。

はい、なり手がなかなかいないということで・・・。地域のために少しでも貢献できればと思っています。

――谷崎さんのお人柄から、なんとなく頼みやすい雰囲気が出ていて、分かる気がします。

そうでしょうか(笑)。もちろん、誰かのため、地域のためにと思いますが、人の役に立つことで、自分の価値も見いだせている気がしますし、年もとらない気がします。閉じこもっちゃダメですね。

――今、もっとも燃えていることを教えてください。

スポーツ吹き矢に燃えています。たまたま先輩に誘っていただいたのですが、続けてもう4年ほどになります。吹き矢は精神集中できて良いですよ。コロナ前は、県外の大会にも参加していました。

――事前にいただいたプロフィールには書かれていなかったご趣味ですね!本当にご活動が多岐に渡っていますね。ずっと那賀町にお住まいになって、どう感じられますか?

趣味に、「草刈り」と書かせていただきましたが、どうしてだかお分かりになりますか?

草が手入れされずに伸びていると荒れ地の印象になり、そこに住みたい、那賀町を出て行った方が帰ってきたいと思わないでしょう。なので、少しでも、そういうところが減ったらいいのにと思っています。今の那賀町は人口減少待ったなしですが、人が減るのはとても寂しいです。

――そういえば、インタビューさせていただこうと思ったきっかけは、「オリンピック」の草刈りアートでした!

あれは本当に思いつきでして。もしも見てくださる方がいて、少しでも癒やされたらいいなと思って作りました。図面からデータ化し、測量をして、草を刈ったのは半日ほどです。

――お一人でなさったのですよね?新聞やSNSでも話題になりましたね。

私は宣伝が苦手なので、ちょっとSNSに書いたぐらいでしたが、口コミで広がったようでありがたかったです。ちなみに、草を刈ったばかりよりも、数日経ってからの方が綺麗に見えるのですよ。

――那賀町のいいところはなんでしょう?また、どんな方に那賀町に来て欲しいですか?

那賀町は、住む人が穏やかな町だと思います。どんな方でも、定着して住んでくだされば嬉しいです。自然豊かで、子育てにもとてもいい環境だと思います。

――これからどんなことをなさっていきたいですか?

今年から会長を務めさせていただくことになった那賀町商工会の仕事に、一層力を入れていきたいと思っています。私はモノを作る方で、商売をなさっている方のお気持ちには疎いかも知れませんが、どうにか那賀町を守っていきたいですし、生まれ故郷を大事にしたいという想いでいます。

――谷崎さんの人生において、大事なことを教えてください。

たまにご質問いただくのですが、「座右の銘」なるものは持っていないのです。逆に、一本通ったものがないから、これまで生き残れたのかもしれません。いや、本当に優柔不断でして、いいことも悪いこともすぐに忘れるのです(笑)。

――言い換えれば、柔軟だということですね。人やモノ、何かに執着しない生き方は難しいと思います。最後に読者の方に、一言メッセージをお願いします。

那賀町に来られたら、ぜひ鷲敷、相生あたりにもお立ち寄りください。合併して那賀町は広くなりましたが、残念ながら、鷲敷・相生地区は、木頭地区や高知に行くのに通過されるだけのことが多くあります。でも、立ち寄って、ぜひ住民の方と触れあってみてください。私は、そのための「道」を整備します。

 

谷崎組

〒771-5325
徳島県那賀郡那賀町平野字庵前21

0884-62-1461

しなやかに生き、土木によって郷里を守る。◆谷崎史明(有限会社谷崎組 代表取締役)

投稿ナビゲーション


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です