先祖から受け継ぐ、およそ110ヘクタールの山を家族で大切に守り、自伐林業を営む橋本家の皆さんにお話をお聞きしました。銀行員を辞めて山に入られた光治さんと、それまで専業主婦だったその奥様。父と同じく会社員を経験して、家業を受け継いだ息子の忠久さん。ご家族の想いとは?(取材年月 2021年5月)

橋本 光治(はしもと みつじ)

那賀町生まれ。徳島県立城北高校、関西学院大学法学部卒。1978年に、銀行員を辞めて、先代から森林経営を引き継ぐ。1983年から「作業道づくりの名人」大橋慶三郎師に師事し、作業道開設に取り組む。森林保全と長伐期優良大径材生産を軸に、針広混交林の山づくりを目指す。全ての施業を家族で行っており、家族経営的に自伐型林業のモデルとして位置づけられる。2016年、夫婦で「内閣総理大臣賞」受賞。2018年「旭日単光章」受賞。自伐型林業の指導者として、全国を飛び回る。

橋本 延子(はしもと のぶこ)

那賀町生まれ。徳島県立富岡東高校、池坊短期大学家政科卒。1978年、夫とともに帰郷し、祖父の代からの山を受け継ぐ。2003年「那賀川こまち」設立。6歳より踊りを始め、猿若宗秀、猿若栄晃師に師事。1996年、猿若流名取りを許される。2000年、寳成会(新舞踊・民踊)師範を許される。三味線を「和の学び舎」藍師に師事。

橋本 忠久(はしもと ただひさ)

那賀町生まれ。徳島県立富岡東高校、東京農業大学農学部卒。2001年11月より両親とともに、森林経営に携わる。自伐型林業講師。

    

――光治さんは、もとは銀行員だったそうですが、中途退職までして、なぜ家業を継ぐ気になったのでしょうか?

(光治さん)私は養子ですが、家内の先祖の代からの見事な山が、父の代で、木の伐倒や搬出を業者に委託するようになって、荒れ始めました。良質な木がどんどん伐られて、このままではいけないと危機感を持ちました。山の管理を人に任せるのではなく、自分たちでなんとかしようと、昭和53年春に銀行を辞めて、那賀町に帰ってきました。ところが、林業を教えてもらおうと思っていた祖父は、その年の秋に亡くなってしまいました。

――それは、大変ですね。どうやって山の仕事を覚えられたのでしょう?

(光治さん)実は、林業のズブの素人に加えて、遺産相続で莫大な相続税を背負うことになりました。例えるなら、ハイハイできるようになったばかりの子供に走れというような状態で、真実、途方に暮れました。しかし、自分でやらないと仕方がない。それには、作業道を敷設し、身の丈に合った機械化をしなくてはいけないと思っていました。ちょうどその時、昭和56年に大橋慶三郎先生という百年に一人出るか出ないかと言われる、素晴らしい先生と出逢い、道が開けました。その後、道づくり、山づくり、人の道等をご指導いただきました。

――大橋慶三郎先生とは?

(光治さん)「山づくり、作業道づくりの名人」で、私たちの人生の師です。昭和56年、知り合いから、大阪の河内長野に視察に行くから一緒に行くかと誘われました。たまたま車の席が一つ空いていたのです。それが、大橋先生との運命の出逢いとなりました。最初は、兄弟子に手伝ってもらって道を作り、昭和58年12月3日から、自分たちの道づくりをスタートしました。本当に大変でしたが、必死になってやれば出来るものです。

(延子さん)大橋先生からは具体的なノウハウというよりは、人生において大事なことを主に教えていただきました。それが、私たちの道づくりに活かされています。大橋先生は、いつも「勉強させていただきます」と、深々と頭を下げられるのです。私たちが頭を上げても、まだ先生が頭を下げられているので、慌ててまた頭を下げたりしました。

――一流の方ですね!忠久さんも、別の仕事をなさっていたのですよね?

(忠久さん)はい、そうです。東京の大学を卒業後、徳島に戻り、自動車ディーラーの営業、青果市場の仲卸をしていましたが、平成13年11月1日から山の仕事をするようになりました。今年でちょうど20年になります。子供の頃から山の仕事を継ぐつもりでしたが、いきなり家業を継ぐよりも、他の仕事を経験しようと思っていました。会社員時代は、徳島市内に住んでましたが、妻と共に那賀町に戻ってきました。

――親の仕事を継ぐにあたって、葛藤はありませんでしたか?山の仕事というと、「大変」というイメージがありますが。

(忠久さん)全くなかったです。小学校高学年頃から、後を継ごうと思っていました。「継続」が大事で、ある程度はしんどい想いをするのが当然で、その上に楽しさがあるんだろうと思います。私は、先祖から受け継いだものを大事にしていきたいです。事業を承継できているところは、こういう意識が高いのではないでしょうか。

(光治さん)子供の頃から、「山の仕事は面白いぞ」と、息子に言い続けてきました。親が不平不満を口にしながら仕事をしていたら、こうはならなかったかも知れません。私は、銀行員だった頃から、素人から見ても、祖父の山はいい山だと思っていました。その祖父が作ってくれた以上の山にして、次の代に引き継がせたいと思っています。長い視点が大事です。

(忠久さん)余談ですが、私の大学生の息子は、子供の頃からずっとサッカーをしていたのですが、小学一年生のときに、高校卒業するまでは、とにかく続けるようにと言い聞かせました。そして、小学生の時は、基本練習を大事にさせました。私の言ったこともかなり厳しかったと思います。しかし、高校生になると、自由にやれと伝えました。自主性を尊重しないと、指示待ちの人間になってしまいます。それもあってか、息子も、将来は山を継ぎたいようなことを言ってくれています。

――橋本家の林業スタイルは、「自伐型林業」とのことですが、どういう意味でしょう?皆伐との違いはなんですか?

(光治さん)皆伐は、対象区域の樹木を、選別することなく、全て伐採することです。皆伐すると、一時的に大きなお金を得ることができます。しかし、山の木がごっそりなくなるので、その後、植え付け、下草刈りなど、余分な仕事が増えます。そして、また、出て行くお金も多い。自伐型林業は、一気に伐採せずに、樹木の調和を大事に、必要な木だけを選んで間伐を繰り返します。その間伐のために、作業道がとても大事になってきます。うちの作業道は、今は総延長30キロメートルになります。(路網密度約290メートル)30年以上かけて作ってきました。自伐型林業は、大きな機械がいらず低コストですし、少人数の家族経営で行えます。小さな林業家に合っていると思います。

――環境保全の面から考えても、「自伐型林業」はいいのですね。

(光治さん)そうですね。皆伐をするには、人を雇うので、人件費がかなりかかります。その割に、木の価格が住宅バブルの頃に比べて下がっています。まして後継者もいないとなれば、皆伐をした後、植林をせずに、放置林となるケースが多くなっています。これでは、環境を保てません。ちなみに、なぜ後継者が少ないかといえば、一つには、木の値段が安く、ヤル気をなくしてしまっているからです。何事においても、後継者づくりこそが、もっとも大事だと思います。

――「いい山」とは、なんでしょう?橋本家の山の特徴はなんですか?

(光治さん)うちの敷地は110ヘクタールほどですが、250種類以上の植種があり、これは非常に多いのです。鳥獣も、種類が多い。日本の山は、元々こうだったんだろうと思います。それが、住宅バブルで木の値段が上がって、どんどん木を伐って植えていった。経済性だけ追求したら、木の種類の少ない単純林になってしまいます。そして、山の豊かさは失われます。私の山は、自然に近い複雑な山となっております。

――今、日本の木の価格は、どうなのでしょう?

(光治さん)住宅バブルの頃に比べて、木の価格はかなり下がりました。昔は、銘木だと高値でしたが、今はそうでもありません。例えば、かつては節のない木が良しとされていましたが、今は、節のある木が逆に好まれたりもします。どういう木がいいとされるか、時代によって変わります。そして、国の林業政策も、どんどん変わります。林業は、数年では結果が出ません。何十年かけてやっていく仕事です。なので、信念を貫き、国の政策、補助金などに振り回れず、どんな時代にあっても、生き残れるような経営をしていくことが大切だと思います。「自伐」とは、無理をせず、自分のペースで自由自在にできる、ということではないでしょうか。

――若い方が林業を始めたいと思ったら、どうしたらいいでしょう?

(光治さん)受け継いだ山があるかどうか、また、任せてくれる山があるかどうかは大きいです。私は、環境税で町が山を買って、移住して林業をしたい若者に与えてもいいと思います。それぐらいの価値はあります。林業を始めるにあたっての初期投資には、400万円ほどかかりますが、本気で山の仕事をしたい人には、それぐらいのバックアップを町がしてもいいと思います。それが、地域創生、過疎化対策にもつながると思います。

(忠久さん)山仕事のメインは、雪が降らない地方では、秋から冬です。なので、林業専業でなくとも、春夏は別の仕事をしてもいいと思います。

――そもそも、林業ってなんでしょう?

(忠久さん)我が家の場合は、森全体のバランスをみて、間伐等を繰り返しやっていく、場所によっては、天然更新で出てきた樹種を、配置を考えながら育てていく、造園造りのイメージです。林業というと、木を伐って売る仕事と思われるでしょうが、そうではなく、森林をデザインしていく感じです。皆伐では、土地が痩せて地力が下がります。自然相手の仕事なので、地形、気象条件等をよく考えた上で、自然の法則に逆らわないようにやっていくものだと思います。経済性だけを追求すると、単純林になります。逆に、環境性だけだと広葉樹林になりがちです。経済と環境の両立性を考えたら、針広混交林が良いのだろうと思います。

――とても分かりやすいご説明をありがとうございます。これから、どんなことをやっていきたいですか?

(忠久さん)今の仕事と併行して、観光林業のようなことをやっていきたいと思っています。山に来ていただいた方々に、我が家の山の雰囲気を感じてもらいながら、様々な体験を提供したいです。例えば、山でお昼寝とか、山で読書とか、ウラジロで飛行機を作って飛ばす距離を競争するとか。山の魅力を伝えて、ファンづくりをしていきたいですね。

――皆さんの、人生において大事になさっていることを教えてください。

(光治さん)私の座右の銘は、「素直、至誠」。他に、「置かれた場所で一生懸命生きる」「命をかけてやれば、人間は生きられる」「なんで自分がやらないといけないと思わず“自分がやらせていただきます”という気持ちを大事にする」

(忠久さん)「継続」です。そして、継続していくためには、「オレが、オレが」ではなく、自分の立場をよく考えて、変えていくべき所は変えていく、残していくべき所は残していく。調和というものを意識しながら、今後もやっていきたいと思います。

(延子さん)「包容力、感謝」かなと思います。周囲の方々、家族にも、精神的、肉体的に支えていただいております。

――最後に、読者の方へ一言メッセージをお願いします。

(忠久さん)癒やしの山へ、どうぞお立ち寄りください。

(光治さん)私の命の続く限り、林業で悩んでる皆さんに、私の長年培ってきたことをなんでもお教えしたいと思います。よろしくお願いします。

(延子さん)山に来ていいエネルギーを受け取って、そのエネルギーをまた、別の方に発信していただければ嬉しいです。本日は、ありがとうございました。

※一部写真は、「NPO法人自伐型林業推進協会」様よりご提供いただきました。

未来のために。家族で守り育てる「癒やしの山」。◆橋本光治・延子・忠久(自伐林家)

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未来のために。家族で守り育てる「癒やしの山」。◆橋本光治・延子・忠久(自伐林家)” への3件のフィードバック

  1. とても実直に物事を捉え進めていかれてる様子が伝わってきました。
    山への感謝の気持ち、真似ていきたいと思います。
    ありがとうございました。

  2. 手をいれて大切にされている山、文章拝見しただけで、自然あふる山と想像しました、素晴らしいと思いました

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