県外や徳島市内で柔道整復師として勤めた後、家族とともに故郷の那賀町にUターンしました。県外の専門学校に進学したときも、「いつかは故郷に帰りたい」と思っていたそうです。その想いの根底にあるものは?また、超高齢化社会を迎えて、一人一人が欠かすことの出来ない「健康管理」。その秘訣もお尋ねしました。(取材年月 2022年6月)

吉田 拓磨(よしだ たくま)

昭和57年(1982年)生まれ。那賀町(旧・相生町)出身。2001年、那賀高校卒、2004年、朝日医療技術専門学校(現・朝日医療大学校。岡山県)卒。

小学校2年生から野球を始める。高校で進路を決める時、自分自身も野球をする中で怪我もあり多くの方にサポートをしていただいたので、自分もそんな仕事がしたいと、柔道整復師を目指す。2004年、国家資格である柔道整復師を取得。2004年から2016年まで、広島県福山市の鍼灸整骨院や徳島市の整骨院に勤務。

2017年2月より、那賀町にて「body worksあいおい(現・あいおい整体院)」を開業。「やりたいことが出来る体作りをサポートする」をコンセプトに、筋膜リリースやトリガーポイント治療での施術にあたる。また、痛みの出ない体作りは姿勢が基本となることから、姿勢改善やリハビリにも用いられ、多くのアスリートも取り入れている「ピラティス」のインストラクター資格も取得。現在は、マンツーマンのレッスンや、那賀町3ヶ所、阿南市1ヶ所でピラティス教室を開催している。

最近では、那賀町社会福祉協議会との連携で「フレイル予防」にもトレーナーとして参加し、地域の方々の健康寿命向上に情熱を注ぐ。

 

――吉田先生には、もう何年も前から、腰痛が出たときの施術や、ピラティスレッスンでお世話になっております。改めてインタビューするのも、なんだか気恥ずかしいですが、今日はよろしくお願いいたします。

はい、よろしくお願いいたします!

――先生は、子ども時代はどんなお子さんだったのでしょうか?

私が幼い頃は、曾祖母、祖父母、両親、姉、妹の8人家族でした。ワンパクというか、元気な子どもだったと思います。友達と、よその家の柿を採って叱られたこともあります。勉強は嫌いでした(笑)。

――今は、穏やかな落ち着いたご性格に思えますが、ヤンチャだったのですね(笑)

そうですね。親に言わず、勝手に友達の家に遊びに行って、「行方不明になった!」と、大捜索になったこともありました。その後、何食わぬ顔で帰ってきたのですが(笑)。

母と
姉と
小学生のとき(一番右が吉田さん) 
王子神社の秋祭り(一番右が吉田さん)

――なんとなく、大らかな時代でしたよね。私も、小学生の頃から、一人であちこち遊びに行って、仲良しの友達の家にも入り浸っていましたね(笑)先生は、野球少年だったそうですが、小学生からずっと続けられたのでしょうか?

はい、小学校2年生から専門学校まで続けました。学生時代は、ピッチャーだったり外野手だったり。練習がしんどかったときもありますが、不思議と辞めたいと思ったことはありませんでした。

ただ、当時、体のことを考えて投球数をセーブしなかったせいか、肩や肘の故障が多かったです。痛めては回復し、試合に出てはまた痛め・・・の繰り返しでした。多少の痛みは我慢するものだと思っていました。

12歳ごろ。地元少年野球チームにて

――それは、大変でしたね。

あまりに故障を繰り返すので、高校生のとき、大学からの野球推薦もあったのですが、プレイヤーよりも、スポーツトレーナーなど選手をサポートする側になりたいと思うようになりました。それが、今に繋がっています。

――怪我をなさったときは辛かったでしょうが、それが将来の仕事に繋がるとは不思議なものですね。

はい、故障をしていなければ、今の仕事は選んでいない気がします。周囲の方々に支えていただきました。ただ、当時は、スポーツトレーナーになるにはどうしたらいいか分かりませんでした。インターネットもない時代ですし。そうしたら、父が専門学校の資料を取り寄せてくれたのです。

――以前、取材をさせていただいたお父様ですね!

はい(笑)。いつも父がお世話になっております。岡山にある専門学校では3年間、解剖学、生理学、運動学、病理学、衛生学、公衆衛生学などを学び、卒業見込みで柔道整復師の国家試験を受けました。

――素朴な疑問なのですが、どうして、「柔道整復師」と言うのでしょう?

昔は、柔道をしている人がする仕事だったのです。なので、専門学校では、柔道の授業もありましたし、国家試験には柔道実技もあるのです。

――それは知らなかったです!ところで、先生は、県外や徳島市で勤めていたということですが、もともと那賀町に戻ってくるお考えだったのでしょうか?

専門学校進学で県外に出たときから、最終的には地元に帰ってきたいと思っていました。那賀町にUターン前は、広島県福山市の鍼灸整骨院で3年半、その後、妻の実家が経営する徳島市内の整骨院で10年、修行させていただきました。

でも、生まれ育った那賀町には接骨院、整骨院、整体があまりないので、いつか帰ってきて地元を盛り上げたいという想いは、ずっと持っていました。

――そうだったのですね!

親から戻ってこいと言われたことはないです。それでも、とにかく地元が好きで、外に出ていても、実家にはしょっちゅう帰ってきていました(笑)。那賀町には、上の子が生まれてすぐUターンして、5年目になります。ちなみに、妻とは専門学校で出会いました。同じ柔道整復師コースだったのですよ。

実家にて。妻、5歳、3歳の息子と

――那賀町に戻ってきて開業するにあたり、大変だったことはありますか?また、戻ってきて感じることなどはございますか?

お店の場所を探すのが大変でした。借りようと思っても、場所がないのです。最終的には、父親の縁もあって、元喫茶店だった今の店舗をお借りできました。

Uターンして懐かしい方々にも出会えて、本当に帰ってきて良かったと思います。私の周囲には、Uターンした仲間も多いです。20代は県外で働いて、30代は故郷に戻る、みたいな。ただ、子どもの頃と比べて、人が減ったなあと感じます。うちの子どもの同級生数ですが、上の子で14人、下の子で7人なのです。

――それは、ちょっと寂しいですね。それでは、お仕事のことをお尋ねしたいと思います。これまで、私は、腰痛や肩こりがあるとき、何度も「あいおい整体院」にはお世話になってきましたが、どういうところに重点を置いて施術をなさっているか、治療におけるお考えなどを教えてください。

いつも当院をご利用いただき、ありがとうございます。そうですね。一言で言えば、治療においては、「痛みをとるだけではない」ことを念頭に置いています。患者さんの普段の生活までカバーできるよう、簡単な体操などのワンポイントアドバイスをさせていただくこともあります。

また、初回の方は、1時間かけてコミュニケーションをとるようにしています。信頼関係が大事ですし、その方の生活を少しでも知ることが、根本治療に繋がるのではないかと思うからです。

ワンポイントアドバイスだけではなく、もっと深く体作りのサポートをしたいと思い、ピラティスインストラクターの資格も取得しました。

――またまた素朴な疑問ですが、ピラティスとヨガの違いはなんでしょう?私は、ヨガ経験はないのですが・・・。

ピラティスは、第一次世界大戦下のヨーロッパで、軍隊向けにリハビリプログラムとして、身体機能を向上させる目的で考案されたものです。実は、考案者のお名前がピラティスさんなのですよ。対して、ヨガの発祥はインドです。

ピラティスは、もともとリハビリ目的なので、継続することで姿勢や身体機能の改善が期待できると思います。逆に、ヨガがフォーカスするのは、リラックスというか、どちらかといえば肉体よりも精神だと思います。

ちなみに、ピラティスは胸式呼吸ですが、ヨガでは腹式呼吸です。

――2年前、先生にマンツーマンでピラティスを教わったのは、ひどい腰痛に悩まされたのがきっかけでした。1ヶ月ほど施術いただき腰痛は良くなりましたが、このままではダメだなあ、何か運動をしないといけないなあと、レッスンを受けることを決めました。最初は、自分の体の使い方がさっぱり分からなかったですが、呼吸については、何度も教えていただきましたね。

はい、ピラティスでは、「足の幅握りこぶし1個分空ける」などのポジションと、呼吸が大事です。ただ、その方の体の具合で、ピラティスで理想とする正しいポジションがとれないこともあります。そんなときは、教科書通りではなく、その方に合わせることが大事だと思っています。

マンツーマンでのピラティスレッスン
公民館でのピラティス教室

――先生は、那賀町社会福祉協議会との連携で「フレイル予防」事業にも、トレーナーとして参加なさっているそうで、ケーブルテレビでもよく「フレイル予防」の番組に出演なさる先生を拝見しております。実は、いまいち分かっていないのですが、そもそも「フレイル」とは何でしょう?

フレイルは、英語の「Frailty(フレイルティ)」が語源となっています。「Frailty」を日本語に訳すと「虚弱」や「老衰」、「脆弱」などを意味し、健常から要介護へ移行する中間の段階と言われています。年齢を重ねたことによって、心身の活力(筋力、認知機能、社会とのつながり)などが低下した状態のことです。

「フレイル予防」では、元気でいるためには、①栄養バランスのとれた食事、②運動での筋力アップ、③社会とのつながりを持つこと、が大事だとされています。

――若い方にも同じことが言えるかもしれませんね!特に、コロナ禍のこの数年は、引きこもる方が増えている気がします。

おっしゃるとおりです。那賀町では、社会福祉協議会が中心となって、対面での「フレイル予防」事業を行ってこられましたが、コロナ禍で中止されました。そのため、フレイルサポーターの方々が家でできる体操などをケーブルテレビやYouTube動画で配信していますが、そのフレイルサポーター向けの講座講師をさせていただきました。

――超高齢化社会を迎えて、私たちが気をつけないといけないことを教えてください。

先ほど申し上げた「フレイル予防」で大事な3つのポイントのうち、もっとも大事なのは、何だと思いますか?実は、「③社会とのつながりを持つこと」なのです。

一人で筋トレをしている方よりも、運動はしていないけれどボランティア活動に参加している方だと、「フレイル」になるリスクは、後者の方が低いとのデータが出ています。積極的に人と交流を持ち、助け合うことが大事です。一番良いのは、しっかり栄養をとって「誰かと」運動をすることだと思います。

――なるほど!私の周りには、周囲と積極的に関わり、ボランティア活動をなさる中高年の方が多いですが、まったく地域と関わらない方も多数いらっしゃるとお聞きします。ちょっと心配ですね。それでは、話題を変えまして、那賀町のいいところはなんでしょう?

自然豊か、人がいい、なども、もちろんいいところですが、私の観点から言えば、「フレイル予防」などをすぐに取り入れて、案外と積極的なところがあるのも、那賀町の美点だと思います。

また、私は、「地域再生塾」という団体に参加していますが、同世代での話し合いが月1回あり、毎回10人程度集まります。那賀町と徳島大学との地域再生をテーマとする協定締結でできた団体なので、徳島大学の生徒さんも参加されます。若手がなんとか頑張ろうとしています。仲間募集中です!

――これからどんなことをやっていきたいでしょうか?

目下の目標は、那賀町民の「健康寿命」を延ばすことです。あと、部活をしている子ども達のフォローがしたいです。ちゃんと体のメンテナンスをしながら、技術を身につけて全国大会に出場してくれたら、嬉しいですね。

――ご自身の経験からですね!傍から拝見して、吉田先生はご家族仲がいいのが微笑ましいのですが、先生の人生において大事なことは何でしょう?

大事なことは、やはり「ご縁」でしょうか。藍さんともご縁あって出会え、藍さんのおかげで、「中山ピラティス教室」を開くことも出来ました。ありがとうございます。

また、岡山の専門学校では、偶然、徳島出身の妻と知り合い、縁があって一緒になりました。・・・大事な女性です。

――わー!なんだか恥ずかしいです。今は、子育て真っ最中の奥様も、同じ柔道整復師ですものね。いずれは二人三脚でやっていく感じですね。最後に、読者の方へメッセージを一言お願いします。

何をするにしても、体が資本です。家族のケア、仕事、家事、どれも大事ですが、まずは自分が元気でいられるように、ご自身を大事にしてください。そして、痛みがひどくなる前に、治療を受けていただければと思います。

「あいおい整体院」では、AIによる無料姿勢チェックもさせていただきますので、まずは、体の点検と思ってご来院いただければと思います。お待ちしております。

【あいおい整体院】

徳島県那賀郡那賀町延野字寺前119-7

℡ 0884-63-0160

故郷が好きでUターン。野球少年から、人の体を癒やす道へ。◆ 吉田拓磨(あいおい整体院院長・柔道整復師・ピラティスインストラクター)

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