那賀町に生まれ、一度は徳島市内で勤務したものの離婚を機にUターン。「ファガスの森 高城」に勤務しながら、地元特産である「ミヤコワスレ」のハウス栽培を木沢で唯一続ける。可憐な山野草「ミヤコワスレ」の話とともに、那賀町で暮らす想いをお聞きしました。(取材年月 2023年4月)

高田 文子(たかた ふみこ)

昭和34年生まれ。那賀町(旧木沢村木頭名)出身。木沢中学校、富岡東高等学校卒。高校卒業後、徳島市内で、自動車メーカーに勤務。平成19年、離婚後、木沢にUターン。平成24年、四季美谷温泉に勤務。平成28年、地下足袋王子こと平井滋とともに、「ファガスの森 高城」に勤務開始。同時期から家業だった「ミヤコワスレ」の栽培に携わる。現在では、木沢唯一のハウス栽培での「ミヤコワスレ」生産農家。

 

――これまで「ファガスの森」でお会いする度、管理人の地下足袋王子こと平井さんにならって、私も“ブン子さん”とお呼びしてきましたが、改めて、本名はなんとおっしゃいますか?

高田文子と申します。平井さんと四季美谷温泉に勤務した当時、“ふみこ”が二人いたので、私はブン子になりました(笑)。

――そうだったのですね(笑)。いつも親しみやすい笑顔で接してくださるので、私も“ブン子さん”と勝手にお呼びして参りましたが、今日も“ブン子さん”で通させてください(笑)。

はい、分かりました。

――ブン子さんは、中学まで木沢だったのでしょうか?

はい、そうです。私は三姉妹の長女で、中学まで木沢にいて、阿南にある富岡東高校に進学しました。その後、自動車メーカーに事務員として就職して徳島市内で暮らし、結婚後、子どもを授かりました。

――いつか木沢に帰りたいという想いは、当時からあったのでしょうか?

そうですね。ぼんやりとあったかも知れません。子どもも、よく木沢に連れてきていました。その後、離婚してUターンしましたが、戻って良かったと思っています。

――帰郷後、すぐにミヤコワスレの栽培に携わったのでしょうか?

いいえ、最初は四季美谷温泉に勤務し、その時に、平井さんと出会いました。平成28年、平井さんとともに「ファガスの森」に勤務することになり、同時期、もともと祖母が栽培していたミヤコワスレ生産を手伝うようになりました。

――ミヤコワスレについて教えてください。

ミヤコワスレは、木沢特産の花です。木沢の出羽(いづりは)地区出身の方が、竹藪の中から紫色のミヤコワスレを見つけて栽培を開始し、その後、木沢にミヤコワスレ農家が増えました。

最初は、今のように「花」ではなく、「苗」を販売していたようですが、後に、ハウス栽培にして花を出荷するようになりました。ハウス栽培には補助金も出たので、ミヤコワスレを栽培する農家が増えたようです。

――ミヤコワスレというのは、素敵なネーミングですよね。

ミヤコワスレは、もともとは山地に自生する「ミヤマヨメナ」の改良種につけられた名前だそうです。

鎌倉時代、承久の乱に敗れた順徳天皇が佐渡島に流された際に、この花を見て心を癒やし、都への恋しさを忘れたとの伝承によるそうです。

江戸時代から改良され続けて、ミヤコワスレになったと言われています。桃色や白色、青色などもある中、木沢の竹藪から発見された紫色が人気ですが、最近は、紫の花を作るのが難しくなってきました。

――どうしてでしょう?

一つは、気候変動の影響かも知れません。昔は、紫の花が自然に出来ていました。茶花としても紫が人気だそうですが、最近は滅多に作れません。土を変えたり、定植する場所を変えたり、工夫は続けていますが・・・。

ちなみに、ミヤコワスレは、花の色ごとに名前が異なり、「青空」「桃山」「浜乙女」とも言うのですよ。

――可愛い名前ですね!

もう一つ、影響があるとすれば、連作のせいかも知れません。

昔は、シカが里におりてきて苗を食べたりしなかったので、山間のどこでもミヤコワスレの苗を作れました。今は、すぐにシカが苗床にやってきて食べてしまいます。シカ避けの囲いを作り、苗を守らないといけないのですが、そうすると同じ場所で苗を育てることになり、連作になりやすくなります。祖母がミヤコワスレを栽培していた頃には、なかったことです。

――シカの害がミヤコワスレにも影響しているのですね・・・。

そうですね。苗を切らさないようにしないといけないので、苦心しています。

――基本的なご質問なのですが、ミヤコワスレはどのようなサイクルで育てるのでしょうか?

4月頭に花の出荷が終わったら、新芽を株分けして、ハウスではない別の畑に移植します。それが、5月から6月ごろです。

私の畑では、1月ごろまで苗をそのまま外で育て、1月になったら苗を掘り起こし、数千株をハウスに定植します。全部、鍬などで手作業ですが、平井さんが手伝ってくださります。

――寒い時期に大変ですね!

実は、9月頃にハウスに定植するのが一般的です。でも、私は「ファガスの森」のお手伝いもしているので、「ファガスの森」が冬期休業になった後の時期に定植するようにしました。

結果、市場的には良い花を育てられるようになりました。良い花というのは、丈が長い花のことです。9月に定植したときもありましたが、その時は丈が伸びませんでした。

――市場では、丈で判断されるのですか!

はい。花首までの長さが30センチ以上でM、35センチでL、40センチで2Lです。1月は土が凍ってカチカチで、昼間の短い間しか作業できないので大変ですが、市場に出す花としては、良い花が多く作れます。ミヤコワスレは、標高が高くて、夏涼しく冬寒いところで育つ植物です。そういう条件に合っていたのかも知れませんね。

――仕事として花を育てるのも、大変なのですね。そこまでしても、ブン子さんはミヤコワスレを守りたいと思われているのですね。

はい、とにかく苗を切らさないようにしたいです。周囲の農家はご高齢になり、ほとんどの方が栽培を辞めてしまいました。地域おこし協力隊の方やどなたでも、後を継いでくれる方が欲しいと思っています。

――私も平井さんからお話を聞くまで、ミヤコワスレのことは知りませんでした。この記事がきっかけになり、ブン子さんの後を継いでくださる方ができればいいのにと思います。那賀町に移住する方にも、ミヤコワスレを知って欲しいですね。

そうですね。ミヤコワスレの出荷は時期が限定されているので、それだけで仕事としてやっていくのは難しいですが、柚子の収穫など、別の仕事と掛け合わせることで、那賀町で生活していくことは可能だと思います。

私は、那賀町に戻ってきて本当に幸せです。この地で、自然とともに楽しく生活できると、伝えたいです。

――ブン子さんの穏やかな雰囲気から、日々、幸せを感じていらっしゃるのが伝わってきます。

はい、ミヤコワスレの栽培のみならず、「ファガスの森」に全国から来られる方々との出会いも、幸せを感じる理由です。日々、お客様のお話をお聞きして、刺激を受けています。

――ブン子さんの人生において、大事なことを教えていただけますか?

そうですね。何をするにも、健康第一だと思います。そして、ストレスから健康を害するとも言いますから、ストレスのたまりにくい、この自然豊かな那賀町に、皆さん来ていただけたらと思います。元気でしたら、お金はなんとかなります。

――その通りですね!私も東京に暮らしていた頃よりも、今の方が、エネルギーが満ちているのを感じます。都会より自然に近い暮らしをしているからかも知れません。最後に、読者の方にメッセージをお願いします。

皆さんにお会いして、いろいろなお話がしたいです。4月1日から11月30日までは、「ファガスの森」におりますので、平井さんと私に会いにいらしてください。

――ありがとうございました!

自然と人を愛し、「ミヤコワスレ」ハウス栽培を木沢で唯一続ける。◆高田文子(「ミヤコワスレ」生産農家)

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