阿南高専で河川工学を専門に長年教壇に立たれ、現在、名誉教授。阿南高専を退職なさっても、「ひと」を育てることに並々ならぬ意欲を燃やし続け、各地で講演を行われています。学ぶことを楽しみ、ユーモアを愛し、そして、人への感謝の想いを大事になさっている方です。その高いモチベーションはどこから来るのか、また、周囲に伝えたい想いとは?率直にお聞きしてみました。(取材年月 2022年1月)
湯城 豊勝(ゆうき とよかつ)
1951年(昭和26年)、那賀町(旧相生町)生まれ。1972年、阿南高専土木工学科卒業、阿南高専採用。1978年、長岡技術科学大学編入学。1982年、同大学院修了。2003年、徳島大学にて工学博士号取得。同年、阿南高専「建設システム工学科」教授。2003年、国立高専教員顕彰文部科学大臣賞受賞。2014年、阿南高専「創造技術工学科建設コース」教授。2015年、阿南高専名誉教授。専攻は、河川工学、防災工学、生態系環境。「ひとづくり」「かわづくり」「まちづくり」に意欲を燃やし、各所で講演等を行う。那賀川アフターフォーラム顧問、阿南市KITT賞賛推進会議会長、那賀川学識者会議委員長、長安口ダム環境モニタリング委員会委員長、徳島県の川づくりを考える会会長、とくしま川づくり委員会委員長、ゆきかう那賀川推進会議委員、生物多様性あなん戦略推進協議会会長、阿南市男女共同参画審議会委員、那賀町まち・ひと・しごと創生推進会議会長。剣道五段、居合道七段。趣味は、読書、剣道、自然を愛でること。
――先生の活動はあまりに多岐に亘るので、どこからお聞きしたらいいのか迷いますが(笑)。まず、子供時代のことを教えてください。
ごく普通の、気が弱い子供でした。周囲から「優しい」とは言われていましたね。とにかく身体が弱かったので、中学校から剣道をしました。しかし、相手が痛がると思うと、強く竹刀を振れないのです。それぐらい気が弱い(笑)。身体は、剣道を始めたら強くなりました。
――たしか、居合もなさっていましたね。
居合は22歳から始めました。阿南高専の剣道部顧問をしていたのですが、当時は高専だと大会の案内が来なかったのです。それで、不純な動機ですが(笑)、試合の情報を仕入れるため、剣道関係者が集まる居合練習場へ出向くようにしました。案外長く続いて、全国居合道連盟の大会では準優勝したこともあります。
――すごいですね!ところで、先生は、阿南高専を卒業してからもずっと同校で教壇に立たれ、名誉教授にまでなられましたが、そもそも、どうして阿南高専に進学しようと思われたのでしょうか?
私は、旧相生町の出身ですが、中学時代の先輩、藍さんもよくご存じの湯浅尋夫(ひろお)さんや、現在、日亜化学工業株式会社専務取締役の鎌田広さんたちが、阿南高専で学ばれていました。その素晴らしい先輩方への憧れと言いますか・・・私も阿南高専で学びたい、という想いがありました。ちょうど、土木工学科が出来た年で、私は一期生になります。
――土木一期生!そこから生涯に渡って、当時選ばれた道に邁進なさることになるとは、なんとも運命的ですね。阿南高専をご卒業なさった後、長岡技術科学大学大学院や徳島大学でも学ばれているようですが。
はい、もっと勉強したい、博士号をとりたい、という意欲が湧いてきたからです。高専卒業後すぐに母校に採用いただいたのですが、教えながらも、自分のレベルが高専教員としてのレベルを満たしているか、常に自問自答していました。どれほど学んでも尽きることはありません。「ファガスの森」の平井滋さんが「地下足袋王子」なら、未熟な私のことは「古希の“はなたれ小僧”」と呼んでください。
――はなたれ小僧(笑)先生は謙虚でいらっしゃるから(笑)。でも、立場が上がれば、偉そうになる方が多い中、先生は本当に腰が低くて驚きます。先ほども校門で、寒い中、私たちの到着を待っていてくださりました。
いえいえ、私も到着したばかりなのですよ(笑)。
――先生は、阿南高専を卒業したら、都会に出たい、徳島を離れたいというお気持ちはなかったのでしょうか?
都会への憧れはなかったですね。自然を相手にする分野ですから。しかし、私の時代は、卒業したら、県外の大手ゼネコンに就職し、バリバリ活躍するというのが主流でした。ちょうど景気のいい時だったので、公務員になるというとちょっと奇異な目で見られました。そもそも、全国に高専が出来たのも、技術者の養成が急務となった高度経済成長の影響ですので、企業に入るというのが常道でしたね。
――不景気が長く続く今とは、時代背景が異なりますね。
そうですね。私は、土木工学科の一期生ということもあり、長岡技術科学大学院修了後、母校に戻ってこられるように恩師がレールを敷いてくださいました。タイミングが良かったと思いますが、結果的に、地元に残って良かったと思っています。
――先生が優秀だったからだろうと思います。先生のような方が県外に流出しなくて良かったです。阿南高専では、何を教えられていましたか?当時のエピソードなどあれば、教えてください。
ずっと「河川工学」という分野を教えていました。えっと、水商売?(笑)冗談はさておき・・・。「河川工学」とは、端的に言えば、河川災害を防止し、河川を利用するための工学のことです。実は、平成15年に、「国立高等専門学校教員顕彰」の第一席「文部科学大臣賞」をいただきました。
――えっ!すごいですね。どうやって選ばれたのですか?
この賞は、高専の学生教育や地域活動に顕著な功績を残した教員が表彰されるのですが、まず、学内で学生や教員に選んでいただき1位となりました。その後、全国各校から推薦された49名のうちから受賞が決まるのですが、私が第一席に選ばれたのは、様々な幸運が重なった結果でした。
――受賞時の新聞記事にも書かれていますが、先生が今も毎日配信なさっている240文字の「デイリートーク」という、時事ネタを絡めた人生訓のメルマガは、当時から配信なさっていたのですね。
「デイリートーク」は、もとは学生向けでした。担任した時に、携帯メールが流行りだしたのですが、学生があまりにしょっちゅう携帯を見ているから、口やかましく言うより、メールがいいのではと思ったのです。
なので、最初は連絡事項だけでした。そのうち人の生き方やら雑学などを送るようになると、学生から「どうせ、すぐに終わるだろう」と言われたので、けたくそ悪くて続けたのです(笑)。結果、今年で20年目です。能力の無い人間は、続けることぐらいしかできないのですよ。
「デイリートーク」は、今は、人材育成指導をさせていただいている企業の担当者さまを始め、毎日200名程度にお送りしています。企業内でも転送いただいているので、もっと多くの方が読んでくださっていると思います。
――私も、橋本林業の橋本延子先生に湯城先生をご紹介いただいてから、もう3年ほど拝読させていただいています。話題が豊富で勉強になります。忙しい日でも読みやすい、ちょうどよい文字数がいいですね。そもそも、どうして240文字になさったのでしょう。
単純な理由です。配信スタート当時、ドコモが250文字制限だったのです(笑)。
――これは、学生からの寄せ書きですか?文字がビッシリですね!いかに湯城先生が慕われていたか分かります。
慕われていたかどうかは分からないですが(笑)、井上ひさしの言葉「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」がモットーです。人を育てたいという想いが常にありました。
――ご専門分野の仕事について、教えてください。川や生物多様性に関するたくさんの会の代表を務められていますね。
代表なのは、単に私が最年長の会が多いもので(笑)。会に参加するのも仕事の一つですが、以前は、新聞等にもよく執筆させていただいていました。今は、阿南商工会議所の隔月発行広報誌「ニュー阿南」で「水ものがたり」というコーナーを執筆させていただいております。通算50回ぐらいでしょうか。
――ところで、これまでと気候が変わり、大雨による大規模災害も増えましたね。先生のご専門分野はとても大事だと思います。
はい、「河川工学」は川を扱う重要な学問です。川は水を流すだけではなく、多様な動植物を育み、私たちの生活に必要な水を供給し、触れ合うことのできる自然でもあり、気分をリフレッシュしてくれるものです。反面、大雨の時には洪水被害をもたらします。
ということで、「河川工学」は、人命や財産を守るために水を制御し、皆さんが生活しやすいように水を利用し、川に親しめるような方策を考える学問です。
――洪水というと、森林の手入れがされていないため、山の保水力が落ちて、土砂が流出、川に堆積、結果、川の氾濫に繋がる、というイメージがあります。
おっしゃるとおりです。山と川は一体で考えなければなりません。川の管理をしたければ、山の管理も大事です。
そこで、最近は「流域治水」という考え方が出てきました。近年の雨の降り方は、とにかく尋常じゃありません。既存のハード、ソフト対策では、気候変動を踏まえた水災害対策が不十分と考えます。
なので、国、流域自治体、企業等、あらゆる関係者が協働し、雨水貯留施設や土地利用規制、利水ダムの事前放流なども活用します。水を貯めるために、ため池や水田を「田んぼダム」として利用する案もあります。
――防災につながる大事なことですね!ところで、治水のための開発も、生物多様性を意識なさっているのでしょうか?
はい、もちろんです。河道を掘削する際には、魚類などの生息の場である瀬と淵の改変はなるべく行わないように、通常の水より高い部分の掘削を基本として、水際部から陸域の連続性を確保するなどして、できるだけ多様な動植物の生息、生育、繁殖環境の保全を考えねばなりません。
――先生は、「生物多様性あなん戦略推進協議会」の会長もなさっていますね。もう一つ気になるのが、同じく会長をなさっている「阿南市KITT賞賛推進会議」です。これらはどういう団体でしょうか?
阿南市の生物多様性保全活用に関する、阿南高専(大田直友准教授・坂本真理子研究員を中心として)と阿南市の連携での取り組みは、生物多様性国家戦略を受けて、平成24年に始まりました。
令和元年11月には、「生物多様性あなん戦略」が策定され、翌年2月に戦略の具現化を目指して「生物多様性あなん戦略推進協議会」が発足しました。
「阿南市KITT賞賛推進会議」も、この協議会の活動に協力しているのです。
「KITT」は、阿南市の南東部にある「蒲生田(かもだ)」「伊島(いしま)」「椿泊(つばきどまり)」「椿(つばき)」地域の頭文字をとったものです。
ウミガメが上陸する蒲生田海岸、希少植物イシマササユリの自生する伊島、アサギマダラが渡る椿の明神山、森水軍の史跡の残る椿泊、江戸時代の猪垣が残る椿などを、貴重な自然と歴史遺産を守り、地域を元気にしようと、阿南市民有志によって平成18年に設立された任意団体です。
スローガンは、「知ろう!守ろう!伝えよう!」です。
▼阿南市KITT賞賛推進会議の活動
――「阿南市KITT賞賛推進会議」では、毎年、情報の豊富な広報誌も出されていますよね!会員は、何名ぐらいでしょう?
現在、会員は140人程度ですが、地域外の方も多いです。私は、歴史と自然環境に興味があったので入会したのですが、いつのまにか会長になっていました(笑)。高齢化が進んでいるのが目下の課題です。ご興味があってご入会していただける方、募集しています。
――生物多様性や自然保護に関するお考えもお聞きしたいところですが・・・先生のご活動の多さに、今日のインタビューが終わりそうにありませんので、次の話題に参りたいと思います(笑)。阿南高専を退職なさってから設立された合同会社ACEネット研究所では、どのようなことをなさっていますか?
まず、社名についてご説明します。ACE(エース)には、「“自分の人生を築くACE(エース)になる人”づくり」「“世のため人のため仕事のためのACE(汗)を厭わない人”づくり」という想いを込めました。
Architecture(建築)Civil(Construction)(土木、建設) Environment(環境)分野のアドバイスとコーディネートする、という事業内容も表しています。
具体的には、企業と阿南高専とのパイプ役となったり、企業の人材育成のための講演会やセミナーを行ったり、社員研修プログラムの立案、実施をしたりしています。
――湯城先生が重きを置かれている「ひとづくり」を見事に表した社名ですね!
結局のところ、技術だけあってもダメなのです。その技術を使うのは「ひと」だからです。「ひとの心」が育たないと、会社も社会も育ちません。
そのために、人材育成プログラムの一環として、社員の方に「人生のテーマ」「掃除の効用」などのレポートを提出いただいていたりします。言葉には、人生を変える力があると思っています。
――社員の心には、響きますでしょうか?
私の教えは、特効薬ではなく、心の漢方薬だと思っています。即効性はないですが、後からじわっと効いてくるのではないかと。社員の心が変われば、企業も更なる優良企業になります。
山本有三氏の「働くとは、傍(はた)を楽にすることである」という言葉も好きです。その通りだと思います。自分のことだけ考えていては、働く意味を見失います。
――湯城先生のような指導者に若い頃から教わることができると、しっかりした人生観が構築されると思います。お金儲けや目の前のことだけのために働くと、自分が枯渇しますね。
実は、「60の手習い」ということで、60歳から月1回の「論語教室」に通っています。人を育てたいと思ったら、自分が学び続けなければいけません。こんな感じでノートにまとめています。
――わあ!びっしりですね!原文で学ばれているのですね。そして、壁に貼ってあるこちらも凄いですね!
環境の原点でもある森林の色、緑の紙にずっと書いています。雅号の「楽水」は、「論語」の「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」からいただきました。こちらはどうぞお土産にお持ちください。
――素晴らしい言葉の数々・・・ありがとうございます!先生から見て、那賀町のいいところはなんでしょう?また、どんな方に那賀町に来て欲しいですか?
私の活動は、阿南が中心です。それでも、年間2万5千km走っても、ずっと住んでいるのは、阿南ではなく、那賀町なのです。故郷を守りたいというのもありますが、誇りもあります。
那賀町のいいところは、一番は人でしょう。山の人間は、穏やかです。そして、環境。水もいいです。那賀町に移住されるなら、私たちと一緒に何かしたいと思ってくださる、前向きな方に来ていただきたいです。
――これから、どんなことをなさりたいですか?夢は?
これからやっていきたいことは、やっぱり「ひとづくり」です。また、故郷のために「まちづくり」もしていきたいと思っています。お年寄りにもっと元気になっていただきたいと思い、「延野おたすけ隊」の活動の一環として「心のフレイル予防」という話もさせていただきました。
先ほどお伝えしたとおり、言葉には人生を変える力があると思うので、言葉によって元気づけたいのです。言葉や呼吸の基本は「吐く」です。そして、「吐く」は、マイナスをとれば「叶う」でしょう。
――先生の座右の銘を教えてください。
禅僧だった松原泰道先生の言葉「生涯修行 臨終定年」です。松原先生は、101歳の天寿を全うするまで学び続け、人々に「言葉」を届け続けられました。私もそうありたいです。
あと、人生と防災の両方で大事な言葉「“しておけばよかった”ではなく“しておいてよかった”」ですね。
――最後に、読者の方に一言メッセージをお願いします。
自らの故郷を知って欲しい、そして、愛して欲しいです。「那賀町は・・・」と言われたときに「何もありません」と、答えて欲しくないです。「こんないいところがある」と、皆に言って欲しい。そのためには、故郷のことを学んでいただきたいです。
――ありがとうございました!今日は3時間にも渡るロングインタビューでした。本当は、一つ一つの話題をもっと掘り下げたかったですが、記事の構成上、全て載せられないのが残念です。
先生のご先祖様が文政2年に起こった「仁生谷一揆」の首謀者であり、義民として打ち首になったということを、昨日、先生のセミナーを拝聴して知ったのですが、最後のメッセージがとても印象的でした。
「先人からのメッセージ 自分たちが守った故郷 私たちは先人からのメッセージに応える 故郷を守り、世のため人のため役立つ人間になる」
この記事を読んでくださった多くの方に、先生の想いが届くことを願ってなりません。
合同会社ACEネット研究所
〒774-0017 徳島県阿南市見能林町青木265番地1
阿南高専内 阿南市インキュベーションセンター
<連絡先>
携帯電話:090-2789-1004
※★を@に変えてメールください。
湯城豊勝先生。
素晴らしい多方面でのご活躍に感服いたしました。
益々のご活躍をお祈りいたします。
阿南KITT賞賛推進会議
居合等と宜しくお願い致します。